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アシンメトリーのチェック柄でコットンプルを創りました。
色々コーディネートしてみたらやっぱり同色ワイドパンツで颯爽の雰囲気かしら。
この夏は、人生一の猛暑かもしれない。ぎらぎらのお日様を冷房の利いた部屋から眺めている。
ご近所の倫ちゃんは甲子園予選決勝で、惜しくも敗退。朝練あんなに頑張っていたのに。
いってらっしゃーい、頑張ってね、そう言うとさわやかな笑顔を返してくれた。
これからも近所のおばさんはそっと応援しているよ、コロナ禍で少し疲弊していたこころ、助けてもらったもの。
さわやかに生きる事ってホント素敵って、教わったもの。
札幌にて両親と一年半ぶりに会うことができました。
コロナ禍で帰省もままならず、電話で安否確認の長い長い日々でした。
思いのほか元気にしていて、温泉に浸かり、美味しいお食事を頂き楽しい時間を過ごしました。
母に会うときは、母が私の為に編んでくれたセーターをできることなら着ていたいと、いつごろからか、思っている。
何十年の歳月を経ても、不思議なことに古さを感じない。
シンプルなかぎ針編みも、アーティフィシャルなデザインも
すこしヨレたジーンズと絶妙にマッチするから、とってもおしゃれ。
何より、母のきらきら喜ぶ瞳を見ている時が最高にうれしい。
梅雨入り間近、今年の薔薇の一番花がそろそろ終わり。
庭のコンサバトリーのテーブルにあれこれスワッチを並べてぼんやりしている。
薔薇たちがフェンスも庭もポーチにも咲きそろってくれた5月は、
連日、多くのお客様に愛でて頂きました。
自らの手をかけ育て、作り込んだ作品を喜んでいただけることは
何より嬉しい事で、薔薇もニットも私の中では幸せのジャンルに属している。
沢山おちからを頂戴したから、さあ、今度は新しい作品製図に取り掛かろう。ニッターさんが首を長くして待っていらっしゃる。
雨の日の多い4月でした。中々お日様に降り注いでもらえず、今年の薔薇はゆっくり咲き始めそう。
あんなに手塩にかけたのだから、一斉に咲き競わないで、一株ずつ開花するのをゆっくり眺めたい。
この頃、ゆっくり、のんびりが心地いい。毎日あくせく走りぬけてきたのかもしれない。きっと。
透かし模様のラグラン袖セーターは、昨年仕上げたカーデイガンとのアンサンブル。
丸い透かし模様は端の増減が加わると、わけが分からなくなる難解な柄。にもかかわらず、
正確に、丁寧に仕上げて下さるニッターさんは長崎の方で、かれこれ20年以上のお付き合いにはなるだろう。
いつもいつも穏やかで前向きな方。
一番花が終わったら、少し留まりかけてもゆっくり、じっくり前に進もう。
アトリエの机の引き出しを整理していたら、40年も前に祖父が送ってくれた手紙を見つけました。
幸便と題された封筒も2枚の便せんも、もう薄茶色に変わっていて、どうしてその手紙だけをしまっておいたのかさえ、思い出せないほど月日が経っていました。
そこには、祖父が丹精込めて育てていた花や木のこと、飼っていた柴犬が事故に遭ってから元気がない事など、祖父の日常が細やかに記されていました。同じ文章が繰り返されたり、脱線したりして。
父が長い間家を空ける仕事に就いていたから、祖父は、計り知れないほどの愛情を注いでくれた。
私に弟に。
手紙の最後に、花や木をいつくしむ心を大切にすること、そして、優しい笑顔を絶やさない事とあり、
やっとこの数日快方に向かってくれている主人にも、教えを注ぎたいと思っている。
美しい春の中、
体調を崩した夫に付き添っています。
薔薇たちは一斉に芽を吹き、庭の梅は満開。
早く元気になあれ。早く元気になあれ。
立春とは名ばかりの寒さの中、時を見繕って薔薇仕事にいそしんでいる。
つる薔薇たちの誘引を終え、寒肥の穴を掘り、やっとこさ剪定までこぎ着けた。
剪定は、良い花を美しい樹形で咲かせるための、そして株の命を守ってゆくための最も重要な作業。
葉を落とした一つ一つの株に目線を合わせ、切る枝、残す枝を選別する。
芽吹き始めた若い枝も、これまで沢山の花をつけてくれた枝も、後ろ髪惹かれながら切り落とす。
やがて、私の描いた美しい樹形でこぼれるように花を咲かせるだろうと願いつつ。
剪定は、どんなかたちをもって生きてゆくか考えること。なんだか、人生にも必要な。
明けましておめでとうございます。
皆様のご健康とご多幸をこころからお祈りいたします。
平穏な日々が戻り、またお目にかかれますことを願っています。
新しい年の始まりに、とっても愉しい作品を、ひとつ。
令和4年 元旦
いちょうの黄葉が遅れているように、庭の秋薔薇たちもゆっくり咲き続けている。このまま暖かな秋が続いたら、クリスマスにも花束を作れそう。
温暖化で薔薇の休眠時間は短くなって、秋が長くなった分、私の作業机には
沢山の冬糸が並んでる。次の次の作品まで。
何枚もスタイル画を描き、これでいこうと製図に取り掛かると必ず、納得のいかない箇所に突き当たる。考えても考えても見えてこない沼に引き込まれていくような。
そんなときには、母の助言を思い出す。
往き詰まったら離れなさい。
何てことないシンプルな一言。しかしこれが何と何にでも役に立つ一言。
そそくさと庭仕事に向かう。黙々と草むしり。
見えなかったものが見えてくる。大切なものが見えてくる。
単純なお話。
親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない
花の数、すべてに実を結ぶそう。
二子玉川の高島屋の展示会の初日、母がくも膜下出血で倒れたと知らされ、トンボ帰りで手術に立ち会い
あの日から10年が過ぎました。横浜、釧路間の毎日の電話も、一日も欠かすことなく続いている。
母のリハビリの為にと思っていたのに、いつの間にか、私のやすらぎに代わっている。
振り返っても、母から叱られたり、特別意見されたりした記憶が全くない。
むしろ、いつも背中を押してくれている、あなたならできるわよ、あなたなら大丈夫と。今も。
母がきっと大切にしているもの、心を込めてありがとうを伝えること、手をかけた仕事の尊さ、美しいものをキラキラと目を輝かせて美しいと言えること。
あともうすこし、母の傍でこぼれる花を拾いたい。