
まるで空から薄紅色の雨が降るように、しだれの梅は枝先まで見事に花をつけてくれました。
垣根越しに行き交う人を和ませ、穏やかな春を演出してくれました。
それでもこの春は、なぜかほっこりしないのです。心のどこかがざわざわして、前に進まない。
未知のウイルス報道のせいかもしれない。言い知れぬ不安が漂っている。
~~~大丈夫、きっと、大丈夫、言い聞かせながら、きれいな色の糸を寄せ集める。
くすみのない、澄んだ色糸を手にかけよう。自由に気ままに編んでみよう。
市松、ボーダー、フェアアイル、、予期せぬステキに出会えるかもしれない。
編むことは、私の大切な、心のrecovery

葉を待たずして咲く春の花は凛としたちからを持っている。
庭の白梅のすこし後ろ、サンシュユが開きだすと居ても立っても居られない。
身体が冷えるのも忘れて一輪一輪振り仰ぎ見入ってしまう。
米粒ほどの花たちが集まって一輪の黄色い花になる。
驚くのはそれから、その米粒たち全てが更なる花火をぱっぱっと咲かせているのだ。
点にも線にも描けないサンシュユの宇宙。
神様のなさる業の、あまりの、不思議。

謹んで新年のお慶びを申し上げます。
年の瀬に新しく生徒さんをお迎えいたしました。
編み物経験者が多い中、針を持つ手からお教えするのは、久しぶりの事でした。
おもて編み、うら編み、、、
表目はこうして糸を掛け、裏目はこちらから糸を回す。
一本の糸が目になって、段になってやがては、かたちになる。
少しずつ、がんばれ!がんばれ!
新しい日差しがこぼれている。
もったいないほどの幸せが降り注いでいる。

おかげさまで、展示会も大盛況に終わらせて頂き、ありがとうございました。
展示会にはオリジナル作品キットを待っていて下さるお客様も大勢お見えになります。
本格的に製図を学ぶ以前、20代前半の頃、私もキットを編み図とにらめっこしながら挑戦しました。
知らなかった技法や約束事を学びました。
一つのものを「仕上げる」という喜びと一緒に。
この夏は明けても暮れても針を持っていたように思えています。作品と向き合う時間のなんと長かったこと。久々にお昼ご飯食べたのかどうか忘れてしまったこと数日。只只、夢中で、作る人になりました。
作品のタイトルは、JAZZを編む。
曲線も直線も方向もその質感も自由に流れて心地良い。
多くのお客様にいらして頂けたら嬉しいです。
96年秋、初めて作品展を開いてから、20数年が経ちました。
一枚一枚DMを並べると、まあ何という数の作品たち。
この夏は予期せぬ忙しさにあたふたして、来月の展示会の最後の作品を、制作中。
描くことも、編むことも、楽しくてならない。

そういう年廻りなのでしょうか、私の周りの多くの女性たちが、親に子に孫の為に
働いている、尽くしている、動いている。
疲れたなんて言わないで、自分のことは一にも二にも三にも口にせず、愛を注いでいる。
ご飯作って、掃除して、洗濯物畳んで、日々を支え、そして、無償の愛で包んでいる。
彼女たちが、癒されたり束の間ほっとする、幸せって何だろう?
私の持っている何より幸せな一瞬は、新しい作品をニッターさんから、受け取る時。
世界中の何処にもない宝石を頂くようなキラキラが、そこにはある。

暑中お見舞い申し上げます
暑さ増します折、くれぐれもお健やかにお過ごしくださいませ。
秋の展示会に向け、どうしても創りたい作品と、限られた時間との折り合いをつけました。
急かされたくなく、同じこころを保ったまま、一つの作品を完成させることの何と難しいこと。
お手伝い頂いている方たちに改めて感謝、申し上げます。
季節が少し後戻りしてごめんなさい。
薔薇もアジサイもしっかりルールを守ってバトンを渡し終えたのに。
11月5日からの青山での展示会の作品制作に没頭してしまいました。
気がつくと、秋冬アイテムのまま季節においてけぼりにされました。
真夏のチューリップは可愛そうね。でも、ずっと手元に置いておきたい大好きな作品。
お許しください。
数年前、大切な友人のレナちゃんから頂いた美しい段染め糸、9玉。
観ていると吸い込まれそうな深い青、彼女もきっとその色に魅了され、
お買いになったのでしょう糸たち。託された私。
試し編みのスワッチを幾つもこしらえ、やっと、イメージに繋がった。
鉤針編みのレースモチーフは、母が半生をかけ編んでいた。
レナと母は、よくハグし合うほど仲良しだから、きっと、作品にたどり着いたのかもしれない。