6月のあとりえ(お知らせ)

あとりえのペイジを楽しんで下さいます皆さま
母の介護も18年になりました。
ひとりでは身体を動かすこともままならなくなり今、私に出来る事の全てを母に贈りたく、ごめんなさい、あとりえを暫くお休みさせて頂こうと思います。
どうかお許し下さいませ。
すずきかすみ


あとりえのペイジを楽しんで下さいます皆さま
母の介護も18年になりました。
ひとりでは身体を動かすこともままならなくなり今、私に出来る事の全てを母に贈りたく、ごめんなさい、あとりえを暫くお休みさせて頂こうと思います。
どうかお許し下さいませ。
すずきかすみ
薔薇の季節になりました。
日に日に蕾が膨らみ花色が見えてきました。ロザリアン達の幸せな時間です。
遠距離介護を少なからず担いながら、よくよく育ててきたねとわが身を労わり開花を待っています。
今年もお立ち寄り下さり、こころ癒していただけますように。
春の乗り物移動には、羽織り物が欠かせず、ジーンズにも合うザクザクニットを創りました。
麻と化繊糸の軽くて重宝な一枚になりました。
桜咲く、桜静かに咲く頃になりました。
何故か、決まって訪れる体調不良と安定しないメンタルに対処して、今年は桜色のカーゴパンツとベビーピンクのスニーカーを
買いました。眺めて、触れて、少しずつ外に向かう心を待っています。
色鉛筆持って、針持って、糸にまみれていた私に、時々チャージは必要だよと、促してくれた彼。
やっとその言葉が素直に染み入ってくる。
今年の桜。

春まだ浅い頃、実家で母と過ごす時間が僅かずつ長くなった。
馴染めなかった介護帰省という言葉もいつしかすんなり受け入れて、この頃は介護ではなく母と過ごす時間と捉えている。
そうね、天上に居られる神様がきっともうお決めになった猶予なのだから、優しい時間を少しでも多く作ろうと思う。
朝には母の好きな小花のセーターを選び着せ、美味しく食べられる食事を整え、
午後には愛読書のレース編みの本の頁をめくり、言葉の出にくくなったその傍らでゆっくり語り掛ける。
嬉しそうなまなざしが返ってくる。
わたしは今、かけがえのないものを、美しいものを母から貰っている。
たんまりと、たんまりと。
介護から戻り数日ぶりに庭に下りると梅が咲いている。
白梅もしだれのピンクもちらほらと。いつもの年よりひと月は早い。
今年の春はどうしたの?少しセッカチ過ぎやしない?寒肥もまだ施してないわよ。
慌ただしく過ぎていく時間と、ひと針を惜しみなく進める時間と、梅の香りをいつくしむ時間とに包まれて
春を迎えている。
このところちっとも自分が見いだせない気がするのだけれど
それはそれできっと幸せなことなのだろう。
庭師の親方が今年最後の手入れをされていて、ずっと眺めている。
もうすぐ師走とは思えない穏やかな晩秋、一日中見て居たい。
そういえば、職人気質の手ごわさに彼も時々ひれ伏して、それが何とも愉快だった。
人の背丈よりはるかに大きな樹の枝の更に細い一枝にさえも、まるで話しかけるように剪定する。
ぱちん、ぱちん、、、
来年も、もっと先の樹形まで見えていらっしゃるのだろう。
作品も少しだけ似ているかな、どれほど時間を要しても
描いたかたちにどうしても辿りつきたい。
春まだ浅い頃から手にかけていた段染め糸のカーデイガン、
私が着たくて編み始めたそれは、夏を越し秋風吹く今、やっと仕上がりました。
締め切りや納期を抱えていた頃には思いも依らないスローペース、これ以上ないシンプルな編地にも関わらず、
猛暑も言い訳に、のらりくらり集中力が湧かなかったようであります。
まあお陰様で、仕上げはゆっくり丁寧に。
大切に着たい。
少し苦しかったこの間の思いも編み込まれているのだから。

秋を感じる風の中、ほのかに金木犀が香っている。
記憶の縁を漂うような懐かしさにいつの間にか心がほどけていく。
両親の介護で北国に戻る日が増して、季節の足取りがどこか不鮮明になっていたのかもしれない。
金木犀は故郷の地では育たない。凍てつく冬を越せないから。
さあ、私の日々に戻ろう。
Woolの糸たちに触れたくてならないから。

お天気予報のお兄さんのお言葉、
ちいさい秋すら見つけられない。
ほんとね、ちいさい秋も中くらいの秋も感じられない、まだまだ痺れる残暑。
それでも、ファッション雑誌をめくると、ファーや、ダウン、
秋色のチェックやボタニカル柄のウール達。ニット達。
あと少し頑張ろう。
美しい秋をいとおしく迎える準備をしよう。
